自分の論文を書く時、人の論文を評価をする時に、模倣性は頭が痛い問題です。
研究において以前の報告を学び参考とするのは当然であり、「パクリ」は良くないですが、模倣抜きで研究自体が成り立つのは無理でしょう。一方、自分のアイデアと思っていても、基本的には多くの「記憶」を拠り所としており、自分のアイデアがどこまでオリジナルかはっきり分類することは不可能です。
「剽窃」は良くない行為として盛んに取り上げられ、剽窃チェッカーの積極的使用が勧められ、ビジネスになっています。故意の剽窃は当然ダメですが、無意識に書いた文章が実は遠い記憶の残存で、それを理由に剽窃野郎 呼ばわりされてはたまりません。剽窃チェッカーでその危険が減るなら確かに安いものです。
一方、剽窃チェッカーはあくまで文章自体の類似性を機械的に判別するもののようです。では、全体のアイデアや構造を「剽窃」していないか?これがAIで検出できるかは、僕には分かりません。全体の構造を理解し類似性を見出すというのはかなりの高度な知能で、まだ人間だけの特殊能力のようです。そして人間である以上、主観と感情に影響されるのが弱点です。
AIでは見つけきれず判断がブレやすい人間でないと見つけれない、「アイデアや構造の類似」。どこまでが許容すべきで、どこからが許容すべきでないか?
許容すべきを「模倣」とし、許容すべきでないを「剽窃」とするならば、その境界はなんだろうと悩んでしまいます。
私が経験した一つの事例を出したいと思います。
私のところに、論文のレビュー依頼が届きました。何か、どこかで見たようなタイトルです。僕が1年前に発表した論文によく似ています。参考にしてくれたのかな?と最初思いました。
さて、論文を読んでみます。似てます。アブストラクトの流れもそっくりです。文章の細かいところは変えてあります。もちろんデータも。その著者が所属する病院のデータです。ここまでも、まぁあり得るかなと思いました。
強く疑問を抱いたのは、図と表がほぼ一緒です。もちろん使われている写真と、中身のデータは違います。しかし僕が、何ヶ月も悩んでこういう順番が1番ストーリーが分かりやすいのではないかと考え抜いた流れが、全部そのまま使われています。
参考文献を参考にすると、ちゃんと私の論文は入っています。 そしてディスカッションに私の名前も入って、「Fujiwaraはこう書いているが、我々の検証ではこうだった」と書かれていました。
おそらく剽窃チェッカーには引っかからない。私の論文を参考にした論文で、もし発表されれば私のImpact factorをあげてくれるでしょう。
しかし私は却下にしました。特に新規性がなかったのも事実ですし、何かが私のカンに触りました。
それは、ストーリーがそのまま流用されたからだと思います。論文において、どう自分のアイデアを納得してもらうかということにものすごく腐心しました。フィギュアの順番を入れ替えたり取捨選択したり、まさに血を吐くような思いで毎回試行錯誤してます。それを安易に使用されたことに、カチンと来たんでしょう。僕は「剽窃」ととったわけです。
たまたま私のところにレビューで届いたので却下にしましたが、果たして「剽窃」と言えたかどうか今でも分かりません。別の雑誌にそのまま投稿されて、今頃掲載されているかもしれません。
この時のカチンが何からきたのかを次回検証します。
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