最近、「説明責任ってなんなんだろう」と考えることが増えました。
英語でいう Accountability。
でも、日本語訳だと Responsibility も同じ「責任」。どうもよく分かんない。
教科書では「上司に説明する責任」と「与えられたタスクを行う責任」に分けられている。分かったような分からんような・・・
「説明責任」という言葉には、どこか“言い訳っぽい感じ”がする。
日本のニュースだと、何か問題が起きたときにとりあえず謝罪会見で頭を下げる人たち。そうかな?
もうちょっと考えてみる。
すなわち、説明する以上は、そもそも説明できないといけない。
説明責任という言葉には、そもそも「説明できる状態になっていなければならない」という前提が入り込んでいる?
その前提が日本語の「説明責任」という訳では伝わりにくい。
だから「説明責任」ではなく、どちらかというと統括責任とか監督責任の方がしっくりくる気がする。
そう考えると整理できました。
Accountability=全体を見て意味を測り、役割を整理し、最終的に説明できる責任。
Responsibility=与えられたタスクをきっちり果たす責任。
アメフトを例にすると分かりやすい。
それぞれの役割が厳密に決まっていて、みんな自分のポジションでベストを尽くす。
でもチームが負けたとき、「なぜ負けたか」を説明するのはヘッドコーチの役割。
つまり、Accountabilityはヘッドコーチにある。
一方、プレイヤーたちはそれぞれResponsibilityを負っている。
もちろん、それぞれのプレイヤーは自分のプレーを説明できる必要はあるけど、
ランニングバックの不調をクォーターバックが説明する必要はない。
その関係性を説明するのは、全体を見ているヘッドコーチの仕事。
そこにAccountabilityがある。

英語学者でもない私がなぜそんなこと考えているかというと、子供達と片付けをしてる時に、状況の認知に違いがあることに気づいたからです。
ぼくには見えている次にすべきことが、言われない限り気づかない。
でも、それってAccountabilityが僕にあって、子供たちはResponsibilityを担当しているからでは?
なんでこんなことを思うようになったかというと、
僕がサッカーコーチをしていて、年齢別の訓練内容を見比べる機会があったんですね。
小さい子たちは団子サッカー。
ボールしか見えていない。
でも成長するにつれて、世界の認識能力が上がっていく。
全体が見えるようになって、プレースタイルが変わり、フィールドの広さも練習内容も劇的に変わっていく。
つまり、家の中で「どこが抜けているか」を見たり、
家事全体を見渡したりする力は、発達によって身についていく能力かと思うんです。
親子の間でその見えてる範囲にギャップがあるから、親は一方的にイライラするのでは。
でもまだ全体を見渡す力が育っていない段階で、「なんで気づかないの」と怒る必要はないのでは。
1歳の子がおねしょして怒る親はいないと思うんですよね。
当たり前だから。オムツのサイズがもう合わなくなってきたかな?と考えると思うんです。
日常のちょっとしたすれ違いも「あ、そうなのかも」と思うと、ずっと穏やかに過ごせるんじゃないかなと感じる、今日この頃です。
