アメリカに住んでいると、ジブリ作品がいかに愛されているかを日々感じます。
公立の図書館に行けば、ほとんどのジブリ作品が普通に置いてある。
道を歩けば千と千尋キャラのパーカーを着た人が普通にいる。
本当に愛されているなぁと思うんですね。
家でジブリを借りてきているときにふと気づいたけど、ジブリ作品を見るときって背筋が伸びている。
一方で、例えばディズニーの映画を借りてきたときはそこまで気合いは入れてない。もう少しカジュアルで、気楽に見られる感じがある。
家事しながらだったり、子どもだけで観ていたり、それが普通です。
でもジブリは違う。
明らかに“観る側の扱い”が違うんですね。
それってなんでだろう、と考えてみたんです。
気づいたのは、ジブリには続編がない。
それっぽいものはあっても、基本的には“ない”と言っていい。
これはかなり大きい差なんじゃないかと思います。

ディズニーも初期作品には続編がほとんどありませんが、一般的に「続編」というのは、作者が書き切れなかったものを入れたというよりも、会社側の都合が大きい。
興業的に成功したから、次を作る。
でも、元々の作品の枠を大きくはみ出せないから、無難なストーリーになる。
世界観やキャラクターを壊さないようにすると、作りは派手にはなるけれど、見終わった後に特に何も残らないことが多い。
つまり、商業的な成功を目指すのがメインになってしまう。
じゃあジブリが続編を作らないのはなぜかを考えると、
それは作品の純度を保つためと考えざるを得ない。
自分たちが作りたいものをブレさせないため。
“儲けよう”と思った瞬間に作品がブレてしまう。
宮崎駿は、それを極端に恐れているんじゃないかと思うんです。
そういえばジブリ作品のぬいぐるみなどはありますが、作品と無関係な企業とのコラボレーションは皆無。
ジブリは宮崎駿とほとんど一心同体ですけど、そう考えると宮崎駿という人が見えてくる気がします。
とにかくいい作品を作りたい。
その軸だけで動いている。
宮崎駿の発言を見ると、きついことを言ったりもする。
でも背景にあるのは、すごい“人間愛”のようにみえる。
作品そのままです。
人間のドロドロした部分も描くけれど、根底には「人間は素晴らしい」「世界は美しい」がずっと流れている。
そして宮崎駿が毎回のように引退宣言するのも、あれは毎回本気だと思うんです。
全力で作り切って「もう無理」と思うから引退する。
でもしばらくすると描きたいものがまた湧いてくる。
だから復帰する。
毎回本気。これはとても誠実な態度だと思うんですね。
もちろん、映画においてお金はとても大事です。
続編を作ることも、コラボレーションすることも 納得いく。
お金がなければ次の作品を作れない。
だからそれは当然です。
でもジブリは、そこで作品の純度に全振りした、かなり特殊なスタジオなんだと思います。
その結果、作品の純度がとんでもなく高くて、それが画面の端から端まで滲み出ている。
先日、子どもと『ポニョ』を見たんですけど、10分で「怖い」と言ってやめたんですね。
確かに子ども向けの物語に見えるけど、画面からのエネルギー、あの生物みたいな動きは明らかに本気。
全くナメてない。
その“本気度”が子どもにも伝わるんだと思います。
だからジブリ作品は信用されているし、
一家でジブリ作品を借りてくると、
なぜかみんな正座してテレビの前に並んでしまう——
そんな光景になってしまうんだと思うんです。
このことから言えるのは、おそらく宮崎駿という人は、たぶんとんでもなくピュアな人なんでしょう。
商業でも理屈でもなく、ただ「いいものを作りたい」だけで動いている。
そんな人が本気で作った作品だから、毎回背筋を伸ばしてしまうんだと思うんです。
このことに気づいたとき、ちょっと感動しました。
宮崎駿という人は、多分 技術でも天才性でもなく、ただただピュアすぎる。
うーん、少年ジャンプだと・・・悟空?
それがあの作品の純度を生んでいるんだと思うと、
ちょっと胸が熱くなりました。
