研究をしていて、いつも悩んでいたことがあります。
学会です。
何を発表したらいいんだろう?何のためにあるんだろう?
まだ論文になっていないアイデアをわざわざ発表し、盗まれるかもしれない。でも、まだ論文になってないから盗まれたともいえない。参加する分には様々なアイデアがもらえ、メリットは大きいのですが、発表するにはあまりメリットを感じない。
情報の発表媒体としては明らかに論文が信頼度・完成度ともに優っています。
そんな時に、情報の種類にフロー型・ストック型という考え方を知り、かなりすっきりしました。
細かいところはGoogleってもらえばいいのですが、ざっくり書きますと
フロー型:拡散させることが目的の情報であり、情報の鮮度・インパクトが重要。その分消えるのも早い。
代表的なフロー型の情報としては、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、SNSがあげれると思います。
ストック型:情報がアーカイブとして機能することを望んでいる。情報の信頼度やクオリティがとても重要。
代表的なストック型の情報としては、本や映画が挙げられるのではないのでしょうか。
なお、 微妙なものも存在します。例えば、ブログなんかは、フロー型とストック型の面がともにあるでしょう。毎月のように出るホリエモンの本が、ストック型かと言われると疑問です。
様々な情報が、このどちらに属するのか考えると、いろいろ理解しやすくなります。
俳優が映画にこだわる理由は、やはりテレビドラマはどんどん作られ消えてしまい、クオリティも決して高いものではありません。 一方、映画は2−3時間の映画を作るのに年単位の時間を使います。その分クオリティが高く、それこそ100年後でもその映画が観られます。
曖昧なところとして、日本のテレビアニメは現在ストック型になってきているように思います。本来ならフロー型だったのですが、現在はそのクオリティの高さから世界的評価を受け、何度も何度も観られ続けています。レンタルビデオの流通、オンデマンド配信が大きいのではないでしょうか。
80年代のアニメは時々絵が凄まじいことになりながら(あえて作品名はあげません)、とにかく放送してスポンサーを喜ばせることを第一にしていました。最近は第1期・第2期など分けてクオリティの維持に努めているように見えます。「鬼滅の刃」が最たるものでしょう。
完全に趣味の話に脱線しましたが、学会および論文はどうか。
研究論文は完全なストック型です。データのクオリティ・ストーリーの整合性を何よりも大事にするために、年単位、下手すると10年20年の時間がかかります。100年先でもデータは残り続けます。
一方、学会はどうか。僕はフロー型だと思っています。
すなわち情報の鮮度・拡散・共有が狙いです。学会の発表が、長期的にインパクトを与え続けるのは難しい。その一方、その情報を一瞬で大人数の同業種に強いインパクトを与えながら共有してもらいたい場合には、非常に有効でしょう。
データがあって発表したい場合には、そのデータをどうしたいか?をまず考えるとスッキリすると思います。
フィードバックをもらうことで、まだ未成熟のデータを発展させていきたい。広く共有してもらい、自分の知名度を上げたい。宣伝効果を期待している。これらでは学会が効率が良いでしょう。
一方、ある程度完成したデータを学会で発表する意義は低いと思います。フィードバックが欲しいのであれば、ピンポイントで専門家を探して、相談する方が効率的だと思います。
ちなみに、論文にした頃には風化しているような情報は、学会がいいでしょう。
私も「子育て」「働き方」といった、その時の社会情勢と密接に関係する発表は、論文化の意義がない(か極めて低い)と思います。ですので、学会発表、もしくはこのブログという形態で発表しております。