マリノフスキーがちょっと理解できてきた。
マリノフスキーは今から100年以上前に、ニューギニアで現地に完全に入り込んで、それまでの上から目線だった研究者ポジションを真っ向から否定した人なんですね。
現地で暮らすことで何か見えるものがある。日常生活の中にこそ本当の文化の意味がある。そして最終的に文化というのはどんなに奇妙に見えても、その文化という文脈の中では必ず人間らしい意味がある。
文化の優越、その中の人間の優越というのは存在しない。あらゆる文化の中で人間は人間として行動しているんだ。
ということを解明した人なんですけど(僕の解釈です)、同時にこの人の面白い点は 徹底した権威嫌いなんですね。それまでの偉そうにふんぞり返った世界が嫌いで、現地に入るべきだと強く主張している。
その観察欲・権威嫌いが自分にまで至り、自分も俯瞰的に観察しフィールドダイアリーに内面を詳細に書き残している。
その彼の研究スタイルを完成させたのが、奥さんがあえてマリノフスキーの現地でのフィールドダイアリーを発表したこと。彼が亡くなった後にその神格化が進む中で、褒めたたえる流れに対して一石を投じたんですね。ダイアリーにはいろんな自分の悩み、ドロドロや偏見、葛藤がいっぱい書いてある。それを見たことで みんながっかりしたんですね。
「あ、その程度の人だったの?神様みたいに思ってたけど」と。
でもこれは、マリノフスキー自身の考え方を反映してて、奥さんが裏切ったわけじゃない。マリノフスキーはそういう権威化による絶対視を嫌う人で、奥さんはマリノフスキーの権威化が本人の意図とずれていると感じて、深い愛を持って発表したんじゃないかなと僕は思うんですね。
そうやって彼の権威化が阻害された。
人類学・民族誌の勉強を受けてすごく面白いのが、マリノフスキーは扱いが別格なんです。すごいと、必ず出てくるんですけど、みなさん「マリノフスキーは素晴らしいけど彼には問題がある」と必ずいうんですね。
これは他の学問にはほとんど見られない点のように思います。普通は偉人を偉人として扱って神格化するんですけど、人類学だけは逆で、尊敬すればするほど「尊敬しすぎないようにしないと…」となる。これが僕からするとすごく面白い。
マリノフスキー自身が「権威を神格化することの危険」を意識してたから。だからちゃんとみんな、マリノフスキーを尊敬すればするほど「マリノフスキーはすごい、けど問題がある」と必ずつけてあげるんですね。
つまり「、けど問題がある」というのは尊敬してないからつけるんじゃなくて、彼がそうしてくれと思ってただろうから。ちゃんとみんなそれ守っているんだなぁ、面白い流れだなと思って見てます。
「俺を批判しろ」。ロックな世界ですね。


