手術がしばらく途切れた時期、自分に思いがけない変化がありました。
なんだか、妙に疲れます。かつ妙なため息が増え出しました。別に忙しくないのに。なんだか仕事も避けようとしがちです。
まとめると、全体に元気がないのです。これってなんだろう?
ちょっと不思議でした。何故かと言うと、僕は手術があんまり好きじゃありません。
手術はものすごくストレスが大きい。自分の手技のわずかな幅が、ダイレクトに患者さんに影響します。終わった後は毎回クタクタです。たとえ30分の手術でも、その後動けなくなる位の疲労感です。もし術後経過が良くない場合には、凄まじい自己嫌悪に陥ります。
こんな感じですから、自分は手術があまり好きじゃないと思ってました
手術がないと起きてくる変化を見つめてみました。他の人はよく分かりませんが、自分の中では
1。なんとなく不機嫌。妙な焦燥感。
2。妙に疲れてる。ため息が多い。
3。頼まれごとを避けようとする。予定変更を極端に嫌う。
という感情が増大してくるようです。これってなんだろう?
そこで、ふとよぎった思い。「俺ってなんだっけ」 ここで気づきました。「手術しない外科医は、中途半端な何でも屋にすぎない。」
手術がない時に外科医が行う仕事は、手術に関係した外来・入院患者さんの診療だけではありません。
胃カメラ検査やカメラを使った外科的処置。抗がん剤治療。がんの進行で苦しむ患者さんの緩和治療。内科医がいない時の代理処方。整形外科医の手が足りない時の整形外科的診察・処置。皮膚科的診察・処方。健診業務、手術の麻酔。
しかし、ここでふと気づくのですが、これらには全て専門家がいます。消化器内科医、腫瘍内科医、緩和ケア専門医、各内科医、整形外科医、皮膚科医、総合健診医、麻酔科医。外科医はなんでもできるように見えますが、はっきり言ってこれらの専門家には敵いません。
となると、外科医はファミリーレストランのようなもので、やっぱり蕎麦は蕎麦屋で食べた方が美味しい。蕎麦屋が混んでるのでファミリーレストランで蕎麦を食べた人たちは、決してそこで蕎麦を食べるために来たわけではないでしょう。
となると、専門家には勝てない中、「ま、ここでいいか。」「え、⚪︎⚪︎科ないの?」「すみませんが外科医しかいないんで」という状況が続くと、段々自信が失われ自己肯定感が減っていきます。おそらく私に起こった現象はそれではないかと思われます。
じゃあ、外科医の専門とは?やっぱり「手術」です。これは間違いなく自分のアイデンティティなわけです。
となると、たとえば非常勤外科医は自分のアイデンティティである「手術」に入る機会をどうしても犠牲にしがちで、辛いわけです。下手に楽なようにと「手術」以外の機会を与えられてばかりいると、やっぱり自己肯定感が減少してつまらなくなるわけです。
しかし、一方「手術」のみに外科医が依存してしまうのも危険だと思います。それを奪われた時に一気に精神が不安定になったり、失わないために現状にしがみついてしまう危険があります。
私が今後、年齢を経ていくと必ず手術から引退すべき時が来るでしょう。その時に、気持ちよく後輩に道を譲れたらと思っています。
外科医の専門は「手術」。それを大事にすることは重要。同時に意識してもう一つの柱を作っておくのも大事だと思います。
ピンバック: 下関で多様性を叫んだげかい(上) The Surgeon that Shouted Diversity at the Heart of Shimonoseki – 外科医は子育てと研究の夢を見るか Does Daddy-Surgeon Dream of Research?