レビューがボランティアであることの功罪 Current review system has benefits and demerits.

投稿者: | 2023年12月8日

レビューはなぜ時間がかかるのか?それはその審査過程のほとんどが、ボランティアによって行われているからだ、とまとめました。

そこで当然疑問が湧くと思います。なぜもっと効率化しないのか?どうしてこんなまどろっこしい方法を続けているのか?

様々な歴史的経緯があってこのような形態になったとは思うのですが、その辺は歴史の専門家に任せます。効率化を優先するならば、 謝礼等があった方が引き受け手は増えると思いますが、 頑なに科学界 全体でボランティアオンリーです。

私が思いますに、論文の審査に一切の忖度を入れないためでしょう。

科学はとても危険で、その情報によって人を動かします。 おそらく昔は宗教が影響が大きかったんですが、産業革命の頃から科学的事実から社会が強く影響を受けるようになりました。

科学と名がつくと何でも正しく聞こえるため、政治的決定によく利用(悪用)されます。例えばダーウィンの進化論は著しく曲解され、ナチスドイツの政策に強い影響を及ぼしました。

科学的技術を審査する過程で、その内容を冷静にかつ科学的に判断するにはどうしたらいいか?一番確実な方法は、

「無関係な人が勝手なことを好き放題言う」

状況を作り出すに至ったんだと思います。

例えばですが、子供はとても正直です。面白い面白くないなどの評価を、ダイレクトに表現します。子供が正直なのは、経済的理由や人間関係(特にヒエラルキーや友人関係)など比較的考えずに、感じたもの・思ったことを言うからでしょう。

そのような状況を大人社会においてあえて作り出すためには、全くもって無関係で「どうでもいいや」という立場の人をあえて集め、金銭関係がない状況を作り出す必要があります。

そこで、現在のレビューシステムに至ったのではないかと思うわけです。無関係で完全ボランティアです。

実際論文のレビューでは辛辣な表現が飛び交います。「つまらない」「する価値ない」「全然新しくない」「英語めちゃくちゃ」。匿名掲示板も真っ青なコメントばかりです。このような好き勝手に言える状況を、意図的に作っているわけです。もちろん表現は大人な表現ですが、このような批判に心折れる人も多いです。批判され落ちると傷つくので、落ちなさそうな雑誌にしか出さない人もいます。

なお、この辺は恋愛観と近いような気もします。ふられてなんぼで高嶺の花に無謀なアタックを繰り返す人、無難な恋愛しかしない人(どうでもいですが、僕は前者です)。

まどろっこしい方法を使ってるなぁと思うのですが、科学と名がついた途端、情報が暴走する危険があることを考えると、こういう人間臭いまどろっこしい部分を残しておくのは大事ではと思います。

その一方、ボランティアである弊害もあるでしょう。

まずは責任感が希薄になりやすい。ずっとレビューの論文をほったらかしにすることも可能です。

情報の機密性に関する意識も、給料をもらってる仕事に比べると低くなるのではと思います。そもそも論文を好意で見てあげてるわけですので、絶対に秘密にせねば・・・と感じにくいのではないかと。

この点から二つの懸念が発生します。ひとつは情報の流用です。

以前書きましたが、先駆性の高い論文のレビューを依頼した時に、レビュアーを引き受けたのにそのままほったらかしにする方がたくさんいました。同じような分野の方にレビューを頼まざるを得ないので、基本的にレビュアーはライバルです。何らかのアイデアを論文発表前の段階で渡さざるを得ず、かつ読んだ側の情報への機密意識の低さからアイデアを参考にされてしまう危険があります。

そして、レビューした場合、名前は非公表(公表にする雑誌も増えてますが、あくまで希望制です)。ましてやレビュアーを受けてそのまま放置しただけの方の名前は、永久に表沙汰にならない。

ここに強い危険性を感じます。

また、届いたレビュー論文の放置には、ライバルの論文の成立をできるだけ遅らせようという下心もあるのではないかと疑ってしまいます。レビュアーは金銭的メリットがない分、放置したことに対するペナルティもないので。

と考えると、現在の論文の審査過程はまだ完全に成熟したものとは言い難い。今後、発生する様々な事象(トラブル)を経ながら、変化(進化か退化か)していくだろうと思います。

50年後はまた違った形になっていることでしょう。